一昨日の式典を見た時やはり少々喪失感があった。寸前で取り止めになるのではという期待感を持っていたから。
期待すると裏切られるからなるべく無関心を装おう、小さいころから身に着けていた処世術のようなものがあった。高校野球やサッカーで地元チームが準決勝や決勝に進んだ際、テレビの前で全身全霊で応援するとたいがい敗れてしまった。試合をに逃した時は順調に勝ち進むのに。
ここ一番で俺が熱を入れるのがいけないのか、ちょっと距離を置いておいた方がいい結果になるのではないか、そんな疑心暗鬼を抱いていた。今回も同様なのか?
否、そうではない。今が踏ん張り時、ここで信じ続けることが自分の道を開くことになる。
治療にも似たような過程がある。一見熱や痛みといった症状が出て事態が悪化しているように見えても好転していることがある。そのような時には顔色が良かったり声に力がある。
痛みや熱も体力がないと出すことが出来ない。ちびちびと出していたらいつまでたっても治まらない。
良くなるには先ず悪いものを出してからでないと始まらない。家の掃除と同様で片づけ始めはかえってゴタゴタするようなものである。
必要なものとそうでないものを分ける時、普段隠れていたものが表に出てくる。これで調子が一時的にくるう、しかし障害物が取り除かれると流れはスムースになる。
反対に、一見穏やかに思える時病気は体の奥で進行している。本人は気づいていないが傍から見ると何かがおかしい。注意して見ると声や肌に張りが失われていたりする。
そうだ、自分が培った経験から見ても、寅さんがフロリダの人々に拍手で迎えられたシーンを見ればこれで終わりなわけではない、始まったばかりであると改めて確信する。
いま、馬淵睦夫氏の動画を見ながら書いている。この方も同じことを訴えている。一人一人が世の中を変えるということを自覚する。自分自身を信じ他を愛おしむ心を失わない、今だからこそ。他のために尽くすことが世の中の浄化に繋がる。そうしないと監視と管理社会になってしまうから。
そうですよね。ごもっとも。信じると心が明るくなることは事実。