きのうのこと

昨日出来上がった眼鏡を取りに新宿高島屋に行った。家から高島屋まではdoor-to-doorで約二時間、その大半を高速バスの中で過ごすので田口ランディ著「逆さに吊るされた男」をリュックの中に入れた。バスの中で広げてみるとどんどん引きもまれていく。わぉ良い見つけものをしたと喜んだ。すべて読んだわけではないから確かなことは言えないがオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件の実行犯と作家との交流について記されている。そんなこともあったぐらいにしか思っていなかったのでその内容に考えさせられるものが多々あった。

地下鉄で起こる前に松本で予行演習的にサリンを撒いた時の被害者に河野義行さんがおられたがこの型が実名で登場する。実行犯で死刑囚になった当事者はY氏と匿名であるからこれには少々驚いた。

作家はどうしてY氏が犯行に及んだのか、オウムに入信したときから犯行に至るまでの彼の心境に迫ろうとしていた。

事件の加害者を知るためには被害者のことも知らなければ事の真相には迫っていけないという思いから河野さんに取材を申し込み、了承してもらい話が聞けたといういきさつのよう。

何が素晴らしいといえば河野さんのこの一言「人間というものは、弱いものなのよ。組織に入れば組織に従ってしまう。何かを思い込めばそれを正義だと思う。そういうものなのよ」これと「そうよ。誰でも。間違いを犯すのが人間。あなたも、わたしも。ね?」(p27より)

河野さんは事件の被害者で且つ犯人扱いをされたのに。疑いが晴れても警察からの謝罪はなかったという、しかしこの方はそれを許している。そして、これを機に警察との人間関係が出来て今では冤罪を防ぐための講演活動を一緒に行っているという。驚くのはそれだけではない、元オウム信者の相談相手になり社会復帰の手伝いもしているという話。

胸を詰まらせながらページを追ううちに新宿に到着したのに気づかなかった。いい本に出合った時の醍醐味でしょうか。

河野さんの人生観は「わったしはね、恨むなんていう無駄なエネルギーを使って、自分の人生を詰まらないものにしたくないの」(p30)のこの一言に表れていると感じた。

この心境に至ったのは人生で三回死にはぐれたから、一回目は子供の時破傷風にかかった折、二回目はバイク事故、三回目は松本サリン事件。生死の境を経験すると人は何のために生きているのか考えるようになる。そうした道をたどった後にこのような心境に至ったという。

これは私にもわかる、癌になりそれまで死などというものは遠い彼方のまだ他人ごとのように感じていたのが目の前に鎮座している。「ちょっとすみません」と席を外したくても許されない。二十四時間体制で向き合うことになってしまう。

悔いたり嘆いたりその繰り返しで出口が全く見えない。そして手と足の動き、それに頭で考えることがバラバラになりだした時これで万事休すだ、是も非もない諦めようと思ったら目の前の霧が晴れて何やら気分がすっきりした。

生きているというのは生きているだけで素晴らしい、一時も無駄に出来ないと心から思えたのは忘れられない。

私は河野さんほど寛容には慣れないがその心境の一部はくみ取れる。

話は飛んでしまうけど、海の向こうの頭目争いで非情な手段を次々に繰り出している連中も河野さんの言うように組織という呪縛に身も心もからめとられているように思える。

真実を隠そうとするのはとても苦しいことであろう。いずれ事案がその答えを明らかにしてくれるでしょう。

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