何を書こうかと迷っているうちにひと月が過ぎてしまった。
「古事記と言霊」という本にがっぷりのめり込んでいて身動きが取れなかった。この本に巡り合えたことは自分にとって野口春哉氏の「体癖」以来の衝撃をもたらしてくれた。
体癖では「異常を異常として感じ取れることが健康である証し」ということをまず教えられた。
そして、体の内側から湧き上がるエネルギー(生きようとする力)によって肉体は構築されているということも。
肉体は食べたものを自分の体に合うたんぱく質に変換させることによって作られている。これらの必要な物質的構成要素だけをすべて揃えても人間の肉体は出来上がらない。部品を組み立てて完成させる機械とは全く違う。
このように、必要な物質を集めて結合させる目には見えない働きを古来より気といっていた。やる気・根気・熱気・雰囲気などの気である。
気が満ちれば生命力は活発なものとなり、気が去れば肉体は崩壊していく。
ではこの気とはいったい何処から来て何処へと向かって行くものなのか。
残念ながらそこまでは書かれていない。おそらくそこまで書き上げる時間が無かったのではないかと思う。あの人が分からないとは到底思えない。次の世代に敢えて託したのではないか。別の角度から光を当てることにより幅を広げるために、私は勝手にそう解釈している。
野口氏の読者へのメッセージは、目に見えるものは目に見えないものから作られている。
目に見える形の中に目に見えないもの(エネルギー)の働きが現れている。エネルギーは波・渦・螺旋という軌道を描く流れである。そして、この流れるルートが6方向12種類ある。この中のどのルートが一番流れやすいかはその人によってまちまちであり、流れやすいルートがやりやすい動作をつくりだしている。よって、左に体重を乗せるのがやりやすい人もいれば右のほうが楽な人もある。
そして、動きは欲求が生まれることから始まる。ではその欲求はどこから生まれてくるのだろう。
残念ながらこの壁にぶち当たってしまっていた。
勝手な思い込みで野口氏から受け継いだものは、気の波と水の波という、人の体の中を流れている二つの時間があることの意味。これは生物の誕生からその進化の過程で環境の変化に適応するために取り込んだリズムであると考えている。先ずは水の波。海の中で生まれた生命は、先ずは海の変化するリズムに合わせて生きることを余儀なくされた。そして光合成により酸素が生産され、これが海中に放出され、やがて大気の中にまで浸透していった。このことで大気圏が出来て地球の環境はダイナミックに変化するようになった。それに適応しないことには生き残れなかったために大気の変化に合わさざるを得なかった。
海の変化は緩慢なものであるが、大気の変化は急激なものといえる。
大気の変化は太陽による影響を一番受ける。海の変化は月の満ち欠けの影響を受ける。
これが体の中に二つの時間を作り出していると考えている。
時間とは現象が作り出されていく流れのことだそうだ。
これは古事記と言霊の中に書かれていた。
時間とは、生物学的にはタンパク質の合成と破壊、つまり古い細胞を壊し新しい細胞に置き換えていくリズムのことを言う。
子供はこの入れ替えが速く、老人は遅い。よって体の中を流れている時間が違う。時間は一定のものではない。
変化していく現象というものが時間であるなどとは考えてみたこともなかった。
しかし、春夏秋冬といった季節の移ろいは現象であり、人生も生まれてから死んでいくまでもげんしょうでありそこには時間が流れている。
たしかに言うとおりだ。
違う視点に立つと同じものでも全く違うものに見えてくる。
気とは何か、目に見えるものと見えないものの関係といった、これまで見えていなかったものがおぼろげながらも目の前に現れてきたような気がする。
頭がくらくらするけどその分面白さもある。この本に出合うために死の淵から戻ってきたのかもしれないと思っている。
あ!そうだ!文武両道はどうしたんだろう?
繋がらないじゃん。