悪魔的な暑さが続いていたが、今日はちょっと蒸すものの涼しいので楽。35℃を超えると思考しようとする意欲すら蒸発させてしまう。
大概のことはどうでもよくなり、とりあえず水分を補給して汗で出る分と帳尻を合わせようとするのが精いっぱい。
無理にどうこうしようとしないのも年の功とも言える。ダメな時にいくら頑張ったところでどうにもならない事を何度も経験しているのだから。
そうは言ってもただぼんやりしているだけというのも出来ないことで、何とはなしにユーチューブ動画をついつい見てしまう。
その中で感心したのが元プロ野球選手の愛甲猛氏であった。動画を見るまではあまり良い印象を持っていなかった。見る気もなかったのにenterボタンをクリックした。
見るとはなしに見ていると知らぬ間に引き込まれていった。実に面白いので次々と回を重ねていく。
すると、暑さにかまけて眠っていた「何故」を追求する癖が蘇ってきた。
どうして自分はこの人に魅力を感じるのであろう、具体的にこの人の良い点を拾い上げてみる。
愛甲氏の話というのは奇をてらったものではなく、あったことを淡々と話すものであり、聞いていて心地よさがあった。
自分をよく見せようとか、笑わせようといった邪心がないので、話の流れが実にスムーズなもので自然と耳に入ってくる。
こうした意識が働くと無意識に力が入るのでどこか不自然な流れになるところが出てくる。まるでピアノの練習するのを聞いている様で、間違うところはいつも一緒、その前で不自然な力が加わる。聞き手はそれが何とも言えぬ違和感となる。
自慢話が聞きずらいのもその内容以前に、無理やりにそこに持って行こうとする不自然な流れを自然に感じ取ってしまうからであろう。
では、愛甲氏は年寄りの話のように、ただ思いつくがままに話しているかと云えばそうではない。高校時代のこともプロになってからのことも頭の中できちんと整理されていているので聞いている人への配慮が感じられる。
もちろん取り上げる人へ敬意も払っているから聞きやすい。
自分がお世話になった人のことや、同時代にプレーしていた他の選手のことなどを話すときも一人一人に対して実に具体的に、この人のこういうところが面白い、凄い、滅茶苦茶だった、というように伝え方に長けていた。
そして細やかに相手の言動や動作を観察する目を持っている。例えば、西武の秋山選手と清原選手のバッティングの違いについて、秋山選手は腰の回転に重点を置いてスウィングするので打球の跳ぶ方向がセンターからレフト方向で、ライト方向にホームランを打つことはほとんどなかった。いっぽう清原選手はバットを遅らせて出しバットの撓りでボールを運んでいく。よってライト方向へもホームランが打てた。
こうした専門的なことを素人にもわかる言葉で簡潔に指摘する。
どちらが良くてどちらが悪いといった言い方は一切しなかった。
「自分は馬鹿で勉強が全然できなかった」と言っていたが、難しいことを分かりやすく説明できる人が本当に頭のいい人であるのだから、彼は相当なものである。
球界一の不良で自称「野良犬」なんて言うのはとんでもない話、引退後の彼の歩いてきた道筋というのは大変なものであったことが伺われる。
どこかの球団のコーチや監督をしたとか試合解説でたびたび登場するといった話は聞いたことがなかった。失踪したとテレビで騒がれてたことぐらいしか知らなかった。
愛甲氏にまるで関心のなかった自分の見る目の甘さを反省する。
そして一番関心したのは、今現在子供たちに野球を教えているという事であった。
元有名選手が全国各地の野球教室で、ちょこっと教えるのではなく監督として指導しているとのこと。
一回こっきりならいい顔が出来るが、継続するとなると大変なことである。
それを実に楽しそうに、そしてそこからいろいろなことを学んでいることを冗談話の中に嫌みのない程度にちょこっと加えている。
まるで落語を聞いているようだった。笑いすぎて力が抜けて、帰りの道すがらで「そうだ、親を大切にしないといけないよな」なんて、ふと頭 に浮かぶような話をするのが、一流の噺家だと聞いたことがある。
子供と動物に好かれる人が人格者だと若い時に教えられた。今もそのことに疑いの余地はないと思っている。子供や動物は言葉になる以前の感情や思いを鋭く感じ取ってしまうのだから誤魔化しが効かない。
この人が子供たちとどう接しているのか一度見てみたい。