朝の冷え込みが厳しくなってきた。六時を過ぎないと辺りは明るくなって来ない。うっすらと霜が降りている薄暗闇のなかさくらを連れて妻は散歩に出る。
彼女は子供のころから酷い喘息を患っている、結婚してから一時的に良くなったが実家の騒動に巻き込まれて再発し、それから私が大病するまで徐々に悪化していった。
入院するちょっと前には「今日は本当に呼吸が止まるかと思った」と言ったこともあった。
それを聞いて胸が強く締め付けられたのをよく覚えている。
発作が始まると聞いているほうが苦しくなるほど咳が連続して出た。大体は明け方で、耳元でその声が朝一番に聞こえた。
高校3年の夏休みが終わり、本格的に受験シーズンに入る頃に我が家には住み込みの男性がやってきた。年齢は40前で痩せていて肌が薄黒く眼がギョロっとしていた。性格は悪くなかったが酷い喘息もちで午前2時と5時の二回発作を起こすのが日課であった。
12畳の部屋を当時よくあったアコーディオンカーテンで仕切っただけの隣の部屋で兄と一緒に寝ていた。
よってリング下でボクシングの試合を見ているような臨場感で発作の声を聴いていた。彼が来てからよく眠れなくて頭がいつもぼんやりと霧に包まれたようになり、考えようとしても頭が稼働してくれなくなった。
親に言うと「気のせいだ、集中すれば聞こえなくなる」と、当然のように言う始末。
この事はどうにも嫌な記憶で、妻が発作を起こすと思い出すので恐ろしかった。
記憶の連鎖というものは人を苦しめるものだと改めて思い知らされる。
しかし、これらが全て自分以外の人間のせいかと云うとそうではない。私は妻が喘息を患っているという事をきちんと受け入れることが出来なかったから、30年以上も前のことを思い出して嫌な気分になっていたのだ。
そのことに気づいたのは3年ぐらい前のことだった。当時島根にいて、3カ月に一度出雲の病院で定期検診を受けていた。その近くの呼吸器の個人病院に妻も治療に通うようになった。家から病院までは50キロ以上離れていて自動車で1時間以上かかったので、同じ日に診察を受けるようにしていた。
診察を受けた後帰りの車の中で「私の肺は95歳ぐらいの年齢の人と同じレベルだって」そうポツンと言ったのを聞いた。
初めはショックで凹んだが、どういうわけか「冗談じゃない、そんな状態にしておけるか」忘れかけていた職人のプライドがそれを許さなかった。神様の計らいかもしれない、何しろ人の数よりも神様の方が多いと言われる出雲のことだから。
それから、彼女を見る目が変わった。私は本気モードに入ると兎に角対象をジッと見る、何も考えずに。傍にいない時には、その人のことに意識を集中する。どう対処しようかと戦略を練るようなことは一切しない。すべては出たとこ勝負、その一瞬にすべてをかける。
本気になるとそれは肌を通して相手に伝わる。人間は言葉を通して相手とコミュニケーションをとると思っている人が多いが、人と人との目に見えないエネルギーの交流によって相手を理解すると思っている。言葉はそのエネルギーを運ぶ船のようなものかもしれない。
もちろん手技者であるから手で触り相手の体の反応を見ながらいろいろな情報を読み取るが、意識が向けられているのは体を動かしているその人のエネルギーの方である。
人は悩んだり患ったりしている時に、このエネルギーが出口を見失って停滞している。
道に迷った時のように自分が何処にいるのか分からなくなっている。自分の現在位置が判ると、知らない場所ではないので「あぁ、こっちに行けばいいんだ」と気づき流れを取り戻せる。
生きようとする力が回復するというのはそのようなことではないかと思う。難しく考えるから治療が難しくなるのではないか。
渋滞にイライラして抜け道を探して深みにはまるようなもので、落ち着けば状況が把握できやがて事態は好転してくる。
それが見えるまでは、信じて、任せて、待つ。このことに尽きる。
妻の体に溜まった氷河のような塊は徐々に溶け出していった。最初は少しづつ、やがてある時点に到達すると一気に進む。彼女の場合は、さくらが我が家に来たことがそれにあたる。
人は自分のためというだけでは底力を発揮するというのはなかなか難しい。
誰かや何かのためなら自分の身を犠牲にしてでもやり遂げられる。このような心は日本人特有なものらしい。アメリカ人やユダヤ人には想像もできないことだと、宇野正美という方が言っておられた。
それは、日本語の単語の音がすべて母音で終わっている事と繋がっているようだ。母音は大自然そのものであるから、日本語を話すという事は取りも直さず大自然と繋がることになる。
自覚するかしないかに関わらず、私たちは自然というか宇宙の源から生まれやがてそこに還って行くことをの本語を話すことで分かっているらしい。
自然との一体感というのは恩恵を与えてくれる。
「言葉を発するたびに自然と繋がることが出来る。だから日本語を話すことで同じ源に戻るのだから私もあなたも元は一緒じゃん」という立場に立つことが出来る。
よって相手のことを自分のことのように感じられる。
であるから、自分の身を犠牲にしても人や国のために行動をとることが出来るらしい。
宇野氏が言うには、第二次大戦当時の日本の特攻隊の行動を欧米人はあざ笑うことは出来てもその心情を理解することは出来ないらしい。
どうしてか?聞きかじりのこととして聞いてほしい、外国語が話せるわけではないので。
外国語は子音で終わる単語が多い。子音は発音すると音が止まるというか、日本人から見ると発音しているのかしていないのか分からない。だから、単語と単語がつながってつなぎ目が分からない。
情報を短時間で伝えることには適しているようだ。英語が喋れるわけではないが、英語は配置の言葉。どこに置くかによって何を意味するかが決まってくる。主語・動詞・目的語のように、修飾語は前に、説明は後ろに置く。こういった決まりの元に記号のように言葉を並べていく。
それに普通の会話の中で、私の車とかあなたの意見のように、所有格というか自分と相手の区別をはっきりつける。
日本語でははっきりさせる必要がない限りこうした修飾語をつけない。あなたと私の間の距離が精神的に近いからはっきりさせなくても自明のこととして理解されるから。
そう云えば随分と昔に外国人にははっきり言わないと伝わらないと聞いたが、その時は何故なのかさっぱりわからなかった。
言葉が子音で終わると母音のような響きがない。すると抑揚がないので道の真ん中で立ち止まった時のような一抹の不安が胸をよぎる。
これを埋めようと次から次へと説明が加わる。日本人のような簡潔な説明というものがあまりないように見受けられる。
絵画にしても音楽にしても日本画や雅楽はシンプルで引き算の美学がある。洋画は色を塗り重ねていくし、音楽は音を重ねていって厚みを出す足し算の手法を用いる。
何故かと云えば、私とあなたを分けて考えるから。
自他を乗り越えようとすると余計なものを取り除いていく方向に自ずと向かうから引き算になる。
しかし、これを明確に分けると自分がどちらを取るかといった発想になるからいろいろと条件を付けていってしまう。よって足し算の手法になるのではないか。
話は戻って、妻は犬のことを自分のことのように考えている。朝食の時の話題は必ず朝の散歩でのさくらの様子である。
今日はまだうんこをしていないと、自分のことよりも心配する。
一見笑ってしまうような些細なことだが、自分以外のことを自分のことのように考えて行動することは、出口を見失って右往左往している目に見えないエネルギーの行き先に方向性を示してくれる。自然と調和するから、自然は個人のために動いているわけではない。
目に見えない流れが元に戻れば実態である身の方も整ってくる。
お陰で妻の背中や腰には筋肉がついてきて肩幅も広がってきた。二カ月に一度の健診でも、かつて95歳相当の肺であったものが30代後半にまでなった。実年齢50代半ばを通り過ぎてしまった。
彼女は自分が良くなると心から信じ切ったであろうし、私は喘息を持った妻を受け入れた。だから高校生の頃に一時実家に住み込んでいた男性と妻をリンクさせなくなった。
現状を受け入れることがいかに大事か、また教わった。そして犬に感謝する。