今日は文化の日、なんとも穏やかな小春日和である。我が家は日当たりが良いので秋の日が部屋に入り心地よい時間を過ごすことが出来る。
都内に住んでいた頃は日が当たる時間は限られたいた。建物と建物の間隔がスーパーの駐車場の車同士のものと同じくらいしかなかったのだから仕方がない。
当時のことを思い出すと今は住むことに関しては天国である。庭の木や石を取り除いたのはまさに正解。これらは私が進学のためにこの家を出てから作られた庭にあったもので、それらが無くなったことで子供の頃の庭に戻った。
家の方も台所の東側にあった車庫と物置、それに兄と私の部屋など三室を取り除いたのでだいぶ整理された。親の代にはあまり使いもしないのに増築を重ねてにっちもさっちもいかなくなっていたので、今回私たちが住むにあたって整理したことは意味がある。
近所の昔からよく知っている人たちも「昔に戻って良かったね」と言われた。こうした言葉をかけてもらえるのはホッとする。
そう感じられるのも気持ちが落ち着いているからであって、ざわついていれば暖かな日差しの存在にすら気がつかない。その時たまたま気にかかったことから意識を逸らすことが出来なくなる。そして後で考えてみると、なんであんなことに悩んでいたのかと自分でもよく分からない。心ここに非ず、それに比べると先人は自分と向き合うことを恐れなかった。
嫌なことから目を逸らすと嫌なことがいつまでも追いかけてくることをよく知っていたのだと思う。そうして、自分自身と対話することで意識しないところで心がどのように動いていくかを発見した。一人の力で成し遂げたことではなく、みんなが力を合わせた結果、心の法則を見出すことが出来た。
まだまだそれを語れるようなところまでは至っていないが、あえてそれについて述べると次のような感じになる。
何もないところから意識の萌芽がぽつんと芽生え、それが二つに分かれて見るものとみられるものが生まれる。
意識の萌芽は、均衡が保たれていて動きのない状態からわずかな崩れが生じることから生まれるものらしい。
それは、雨の降る前の気圧の前線のせめぎ合いのようなもので、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが拮抗して空気の流れが一時的に止まり煙は真っ直ぐに上昇するところから、均衡が崩れて煙が流れるその瞬間のようなもの、これが心の中に生じることを意識の萌芽というのではないかと思う。
そして何もないところというのは、本当は何もないのではなくゼロ磁場のようにエネルギーによって行ってしまう満ち溢れた状態であるらしい。平衡とはこのように一見穏やかなものだが、鴨が水の上で静止している時のように一見穏やかのように見えて実は水面下で必死で足を動かすようなものではないか。どちらかの足の動きがちょっとでも弱まれば、強い側に寄っていってしまう。
平衡が崩れエネルギーに流れが出来ると自ずと二つに分かれる。それが陽と陰となる。陽を心の動きに置き換えると見るものとなり主体的な立場を表す。
いっぽう、陰は見られるものとなり客体的な立場、つまり主体的なものから投げかけられたものを受け取る側を表す。
何かを投げかける主体とそれを受け取る客体とのやり取りの中から現象が生まれてくる。そしてこの二つの橋渡しをする働きがあるからこそ、心の中には次から次へと様々な思いが湧きだしてくる。
まさに雲をつかむような話であるが、心の出発点というものは、均衡が崩れてエネルギーの流れが生まれ、それが二つに分かれて互いに働き合うことから神羅万象というものは生まれてくるらしい。
そして森羅万象というものは、広い広い宇宙空間で起きるだけのものではなく心の中にも同様な現象が生じている。
広い宇宙のことを知りたければ、自分の胸に手を当てて心に意識を向けると良いという話である。
余談だが昔、施術の勉強をしていた頃よく平衡を保てるように導くために手技を行うんだと先輩の先生方に言われたが、見た目の釣り合いを保つというところに観点があり、エネルギーの流れというところにまでは至っていなかった。
自分の心に目を転じてみると、均衡が崩れたエネルギーが、先ずは感覚器官を動かし、そこから入ってきた情報により欲望に姿を変える。欲望は感覚器官からもたらされるので山伏がよく唱える六根清浄が人間には必要であるらしい。
六根とは、眼・耳・鼻・舌・身(触覚)・意(おそらく潜在意識)の六つを指し、これらをきれいにすることで欲望の暴走を防ごうとすること。
心の活動とは質量のないエネルギーの流れ、つまり氣の動き方を言うのであり、この流れには法則がある。
古代の人は、エネルギーを氣、または靈といった。
現在よく使われる霊という字は、昔は低位なものを表し、どちらかと言うと人間に良くないことをもたらすものを表すものであったと、最近あるブログで知った。
心の法則のことが古事記の神代の巻にくまなく書かれているというから不思議な話である。
古事記と言霊(島田正路著)で初めてそのことを知った。この本は難解で、半年近くこの本と向かい合っているが、どうにもよくわからない。
よくわからないのに書くなという話もあるが、自分の頭を整理するためにもちょっと書いてみようと思う。と言うか、こんなことを書くつもりはなかったのにいつの間にか手が勝手に動いて気がついたら書いていた。
馬鹿な話のようだが、本当のこと。
先ずは、何もないところから二つに分かれるというところまで。