気がつけば九月、何をどう書いたらいいのかと思っているうちに八月は通り過ぎて行ってしまった。それに伴って暑さも治まりようやく思考停止であった状態から自分を取り戻しつつある。
やれやれという気分で辺りを見回すと、日も短くなり秋の空になってきた感じがする。
季節の変わり目が訪れたような気がするが、これにははっきりとした区切りというものがない。
いったいどこまでが夏でどこからが秋なのか、そんなことをまともに考える人は少ないのではないか。
せいぜい暑さ寒さも彼岸までというのだからそこら辺りが境目なのでは、と何となく思っている人が多いような気がする。
私は物事の境目というものは有るのか無いのか、このことが気になって仕方がなかった。
今は明確な境目というものはないと確信している。
根拠の一つに、分子生物学者福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」に出てくる動的平衡という考え方がある。
動的平衡とは私の解釈では、生物の体は細胞が常に入れ替わっているので外の世界とのはっきりとした境界はない。私たちが自分の肉体と思っているものは、実は確固たる結びつきがあるのではなく、緩い結びつきの中で生命活動を営んでいる。あるようでないような結ばれ方と言えばいいのか。
川のようなもので、目の前に川は厳然と存在するが水は常に入れ替わっている。
まぁ、夫婦や兄弟それに親子の絆もあると云えばあり、ないと云えばないような不確かなもので常に揺れ動いている。
形としてあるものにも形のないものにも云えるような気がする。
生と死にも言えることであると思う。時々目にするのだが、老人である一点を遠い目をして何時間も見つめている人がいる、しかも場所を移動しないで。
ある時期までは何をしているのか分からなかった。ある時期を境に「あぁ、この人はあの世に行く準備をしているんだ。老人ホームのショートステイみたいなものではないか」と思うようになった。
これはいくつかの根拠を積み上げていってそういう結論に達したのではなく、空の上から降りてきたような理屈抜きのお達しを受け取ったようなものであった、しかも疑う余地はない。
このような人たちはあの世とこの世を行きつ戻りつしながらあの世へとシフトしていくのではないか、季節が移り替わるときのように。
ひょっとしたら生まれてくるときも同じことをしているのかもしれない。
何を馬鹿なことをと多くの人は考えるかもしれない、しかしこの世の中を分けるものとは実は曖昧な境界で仕切られているのではないか。
例えば雄と雌の違い、多くの人は性器が全く違うものなのだから疑う余地などないと思われているかもしれない。
しかし稀に、男性器と女性器を併せ持つ人もいるという。
それにテレビで観たことだが、鯛の一種で性転換する種がある。
雄には頭にゴツゴツとした瘤ようなものがある。そしてハーレムを形成している。
この主が亡くなるとメスの中からハーレムの主になるものが出てくる、たぶん権力闘争がその過程に存在するのではないか。
そして次のボスに選ばれたメスの頭に瘤が形成される。性器の変化まではその番組ではしていなかったように記憶している。
ツルっとした頭にデコボコな瘤が出来れば性が転換したな、とよくわからないままに納得してしまった。まぁ、ホルモンバランスが大きく変わるからそうなるのであろう。男が女になって大きな乳房が現れたようなもののように思えた。
とにかく、変わるはずなどないと思っていたものが変わるのであるから、この世の中は人間の考えなど遠く及ばないものによって営まれているのだと、その場面を目の当たりにして思い知らされた。
私たちは生まれてから成長する過程で、世の中はこうだ、こうしなければならない、と生きていくうえで必要なことをいくつも叩き込まれてきた。それが先入観というものを形成し、その結果勝手な思い込みで世の中を見ている。
この思い込みにはパターンがあり、こうしたものが癖を生みそれが身体上に形として現れることを施術を通して学んだ。
身体上に現れる形というものは目に見えない先入観や価値観から作られている。
では先入観や価値観とは何か、おそらく心の中の活動を言うのではないかと思う。
この活動はどうやら言霊と呼ばれるものによって営まれているみたいである。まだよくわからないのでそう言うしかないが。
興味のある方は「古事記と言霊」を読むことをお勧めする。
目に見えないものに目を向ける、ずうっとやって来なかった。日々のことに追われているうちに時が過ぎてしまったので。
病気をしたおかげで都会から田舎に越してきて時間に余裕が出来たのでこの事とじっくりと向き会えるようになった。
目に見えないものと向き合うためには、物言わない犬と生活するのも有効であると感じる。
想像することが必要であるから、人の立場から見ているだけでは動物は理解できないと思う。
興味を持って観察すれば、今まで気がつかなかったことに少しずつ関心が向く。そして気づかされる。
人が意識したところで素粒子の動きは活性化するという。
素粒子は物質の最小単位である原子を構成すると同時に心の動きも作り出す。
では、肉体と心の関係は?という話になっていく。
分からないけど考えると面白くて仕方がない。
目に見えるものと目に見えないものの境を古代の人ははっきりと意識していた。
私たちはある時期からそれを封印されてしまった。そろそろそれを解く時期が来たような気がする。