日曜の午後、暑くて何もする気にならないので撮りためていた録画を見ようとビデオの電源を入れる。何を見ようかと迷う時は、鬼平か刑事コロンボのどちらかにするのがお決まりのコース。中村吉右衛門氏が演ずる長谷川平蔵の密偵への気配りと切符の良さがたまらない。
あんな風に出来たらと、思いつつすぐさま無理無理ともう一人の自分が突っ込みを入れる。
タイトルなんか見もせずに録画ボタンを押すと、画面には懐かしい人の姿が現れた。その人は峰岸徹さんだ。ニヒルで渋い感じのする人で、容易に声など掛けられるような雰囲気は画面のどこからも伝わってこない。ところが、実際の峰岸さんは怖そうなところはどこにもなく穏やかな感じのする人であった。
一度しかお会いしたことがないが、今でもその時のことは忘れられない。というか、ずうっと忘れていたのに亡くなられてから、そして自分が病気になってから会った時のことが思い出され、年を追って強くなってきた。
もう34,5年前になるであろうか、私がまだ整体師になるために均整法の学校に通っていた頃であった。同級生が峰岸さんの家に遊びに行くから一緒に行かないかと誘ってくれたのでひょいひょいと付いて行った。
なにせ俳優の家に行くことなど生まれて初めての経験であり、ウキウキとドキドキが交差していやが上にも心拍数は上がっていた。家に入っても周りに目を向ける余裕などなかった。
たぶん下を向いていたか、早く帰りたくなったのではなかったか。
友人は、施術の腕はさておき、口からホイホイと営業話が飛び出してくる。
さほどのものでなくても彼にかかれば神秘的な技が繰り出されるかの如く20人ぐらいいる大人たちに自分をアピールしていた。
悪口ではない、学生なんだからやれることなんか無いに等しいというのが本当の話。
集まっていた人たちもそれは立派な大人であったから温かい眼差しで私たち二人を見てくれていた。
彼の話を聞くとはなしに聞いていると、自分の目の前に一人の大人の女性がサッと現れた。
都会的でキレイな40代前半ぐらいではなかったかと思う。
ハッとしてその人を見ると「あなたも整体を勉強しているのよね。私のこの肋骨出てるでしょ、治せる?」と、端的に言われた。
「そんなの治せるわけないじゃん」肋骨の飛び出しているのをすぐさま収められる人なんてめったにいない。まして駆け出しの身。
「無理です」と正直に言う勇気もなく、どうしてそうしたのか今でも分からないが、飛び出していた左第3肋骨に左手を当てていた。
何も考えずにただ手を当てると、不思議にそれまでのざわついていた心が鎮まっていった。何となく気持ち良かった。すると、峰岸家に集まっていたテニス仲間たちが私たちを取り囲むように円陣になってきた。
小心な私だが、この時はそれが対して気にもならなかった。みんなのエネルギーが私の指先に集まって来ると、飛び出していた肋骨に反応が出てきた。僅かながらピクンと小さく前後に動き出した。
それは呼吸に合わせて他の肋骨と同調して波打つような動きを始めたのであった。
この人たちはその反応を見逃さなかった、私の指先に集まる視線のエネルギーは増す。
それは、女性にとってもとても良いことであったのであろう、呼吸が深く静かなものとなり肌に潤いが現れた。
飛び出していた肋骨は波打ちながら海に沈む夕日のように胸骨とよりを戻していった。そして出っ張りは消えていた。
取り囲んでいた人たちが歓声を上げてくれた。この女性はにっこりと「ありがとう」と言ってくれた。なんとこの人は映画監督大林宜彦さんのご婦人であった。
奥さんに代わって監督が私の前に座り、尾道について語ってくれた。
テレビで観ていたその人が目の前で私にだけ自分がどれほど尾道を愛しているかを切々と1時間以上離してくれた。
テレビで観るのと同じ口調で、世間の注目を集める映画監督が神経を集中して、20代前半の海のものとも山のものともつかない田舎から出てきたばかりの男に向かって。
「こんなことがあって良いのか」嬉しいけどもったいなくてやりきれない感が胸を覆いつくしていた。
そうこうしているうちに帰ることになり玄関で靴を履こうとすると、峰岸さんが見送りに出てきてくれて「志村さんありがとう、また来てください」と丁寧に言ってくれた。
まだその声が耳に残っている。
眼差しの暖かなことは今でもはっきりと覚えている。ただただ深く頭を下げることしかできなかった。
峰岸さんとお会いしたのは、これが最初で最後であった。
あくの強い役を演じていたが、実際は全然違う。「こんな人じゃないよ」って画面に言いそうになった。