何日か前に、IPS細胞で知られる山中教授とラグビー界の伝説平尾さんとの友情をテーマにした番組を観た。いい話だなぁ、と胸の中が心地よい空気で満たされるような気分を味わうことが出来た。
この二人は同じ年、山中教授は高校生のころから平尾さんに憧れていたと正直な胸の内を明かした。その言い方は実に自然でこの人の謙虚さを表していた。
「わかるその気持ち」、私も多感な学生時代に彼のプレーに魅了されていた。とても同じ年の人間と思えないぐらい凄かった。あれっ?と思っているうちに敵陣の真ん中に切り込んでいくその姿は人間業のように見えなかった、それもあの松尾さん率いる新日鉄釜石相手に。
「格好いいなぁ」高倉健さんを見る目と同じ目線で彼を見ていた。しかしそのことを友達には恥ずかしくて言えなかった。「すごいね平尾は」ぐらいまでしか口からは出なかった。
プレーもさることながら見た目も申し分がないのだから無理もないこと。素直に認めればいいのに、それが正直に言えない小心さが胸の中を占拠していた。女性に対してもしかりで、本当にきれいな人に「綺麗ですね」と言えなかった。「何?それで?」と言われたらどうしよう、そんな気持ちがいつも先行する。
そんなだから昔を思い出すと後悔ばかりが頭の中をかすめていた。なんでいつもそのように感じてしまうのか考えてみると、自分のことしか目に映らなかったからだと気づく。
表面上の人と比べるべきでないことはよく比較するのに、表にはあまり出さないけど同じようなことを感じたり考えたりしていることには気にも留めなかった。
それが判ればそうかみんな同じようなものなら今の自分のままで良いじゃん、という話になり素直に自分を受け入れることが出来る。
だいたい鍛えることで自分の弱さを克服することなどできない。みんな習慣と先入観の呪縛から離れられない。そこから解放されている人は、見えないほこりや垢がついていても気にしない、そのままにしておける人だと思う。
まぁそれはそれで良い、雨の上がるのを待つようなスタンスでいるんだと思う。
するといつの間にかそれは何処かへ行ってしまう、感情というのはそんなものではないか。
山中教授と平尾さんは正直に胸の内をさらけ出し合えた関係だったと思う。おそらく話していると楽になれたんだ、お互い自分の社会的な立場を離れて。
なんだかんだ言っても平尾さんは結構しんどかったんだな、世間の見る平尾にどうしても縛られてしまっていたのかもしれない。彼は自由であることを強く望んだらしい。
世間が作る虚像から解放されたかったのかと想像してしまう。
立派な人と呼ばれるのも辛いこと。