柑橘

きょう熊本からポンカンと宝来柑が届いた。送ってくれたのは大地を守る会という有機の農産物を宅配する会社の看板的な生産者の一人である。蜜柑と云えばこの人の名前が先ず登場する。

昨年末に電話のやり取りの中でちょっと口論になりお互いにそっぽを向く状態になっていたので正直驚いた。

送り状を見てみると届け先の名前の記載が私ではなく妻になっている。送り主の名もその人ではなく奥様になっている。

受け取った時には「なんだよ、俺には食うなってことかよ」と思い、妻に「あなたに蜜柑が届いたよ」と言って書斎に引っ込んでしまった。

しばらくすると妻が来て「ポンカン食べて見なさいよ、宝来柑も入っていたわよ。あんたのためでしょ」

宝来柑というのは在来種で生産しているのはこの人ただ一人。何年か前に大地を守る会で在来種を残そうという取り組みがあった際に大分県の山中から持ち帰り育てたと聞いた覚えがある。そうした苦労があるのに消費者の人気が今一つであるからいらないみたいな事を言われたらしい。「そんなことなら全部切ってしまえ」と頭にきて電話してきたので、まぁまぁ、と慰めて一本残してくれたらしい。

「奥さんに電話したら私は送ってないって言ったわよ。何か言い合ってたのは知ってたけどと言ってた」

笑いながら立ち去った。考えてみたら時代劇によく出てくる爺さん同士の喧嘩と同じではないか。俺は悪くねぇ、奴が頭が固いだけだ、とお互いに一歩も引かない。

よくもまぁそんな些細なことで喧嘩するね、あんな年寄りにはなりたくないものだと思っていたが、こんなに早く自分に回って来るとは。

喧嘩の発端は海の向こうの寅さんのこと。こっちは好きだが向こうは嫌い。なにが嫌いってと寅さんの悪口を順番に並べていくので、つい一撃を入れてしまった。

あちらは蜜柑一筋で形容詞としてのバカが付くくらい一本気、こちらは人の話を聞くのが仕事のうちの一つ、どのタイミングで矢を放てばいいかぐらい半分寝ていても分かる。

相手の呼吸が呼気から吸気に切り替わる間隙を突けば切り返せなくなる。

説得する時も同様で、最初からこうした方が良いよと言っても自分の考えと合わなければ誰も耳を貸さない。不信感を持たれるのが関の山。

持論を展開して一通り終わって一息つくときに「確かにその通りかもしれません。が、こういうことも言えるかもしれませんね」と控えめに言うとそれも一理あるかも、という流れが話し手の中に芽生える。

かりにその時には何を言ってるんだよと感じていても、しばらくして「待てよ」というようになったりもする。

しかし、その時はそうはいかなかった。寅さんの名が挙がっただけで反撃の狼煙が上がったのも意外であったが、それよりもトイレに行きたいという欲求が自分をコントロールすることを阻んだ。

早く切り上げたいと、話の途中で水を差し、挙句の果てに話を総括して打ち切ってしまった。彼にはそれが裏切り行為として映ったのかもしれない。

年賀状に人を憎む気持ちを抑えようとしてもできない、そんな内容が書かれていた。「もしかして俺のことかよ、知るかって」そっちがそうならこっちだってと、更に意地を張った。

そんな感じであったのにどうして送ってきたんだろう。後で聞いてみると、妻がその人が掲載されていた記事を切り抜いてそこに何か一言添えて送ったということだった。

返信代わりに柑橘を送ってくれたみたい。食べてみるとやはり格別なもの。作り手の魂が乗り移っているかのように甘さと酸味が濃厚に詰まっている。

どう手紙を書こうかと、思案する必要がありそうだ。

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