一転の晴天

昨日は思いもかけない雪、あれまぁ本当に降ったと少々天気予報を甘く見ていた見通しの甘さを反省する。

冬型の気圧配置が続き日本海側では大雪が続いていたので、高い山々に囲まれ内陸に位置する甲府に雪など振ろうはずがない。降るとしたら春が近くなったころだろうという先入観がどうしても働いてしまう。四十年近く前の経験に基づいたものでほとんど錆びついたようなものなのに後生大事に仕舞い込んでいて離さない。

この辺りを見回してみるとその頃と何一つ同じものなどないのに。これが癖というものであろうか、仕草や動作といったものに癖が現れるように思われるが、一番奥底にこびり付いているのが先入観であるように思える。

「人は自分の好きなものしか現実として受け入れられない」と誰が言っていたのか覚えていないが確かにそうだろう。

自分はもとより周りにいる人たちを見てみるといつもすることと考え方は一緒、思いもかけないことを聞くと怒りだす人とている。悪意があってのことではなく思いもかけないで。

みんな自宅にいる時などだいたい同じような格好をしている。着きれないぐらい持っているとしても楽なものをどうしても来てしまう。

私などはヨレヨレになったTシャツや穴が空きそうな靴下を捨てきれない。

海の向こうのボスの座をめぐる争いとて従来の慣習をどうしても崩したくない、自分たちの利益をどうしても守りたいという勢力がありとあらゆる手段を使っているように見える。

何もかもが白日の下にさらされてしまう時代の中でよくもここまであからさまに無理を押し通すかと笑ってしまえるぐらいごり押しする、力は正義と言わんばかりに、。これに全面的に助力するのが時代の先端を行く企業であることも興味深い。

富を維持するにはいらなくなったものを速やかに処分して必要なもの手に入れること、このように村上春樹氏の小説の中に書かれていたのを覚えている。

何世紀にもわたり世界の富を自分たちの元に引き寄せている人たちにとっては極めて自然なことであろうと想像する。

事業を展開する人にとっても円滑に進めるためには大きな力を借りたいのもごもっともなこと。両者の利害が一致したことによるパートナーシップというものであろうか。

しかし、こうも強引だと未来を創造する旗頭のように思えていた連中が若いのにどうしてそこまで守銭奴なんですかと尋ねたくなるぐらい年寄じみて見える。

ダメもとでガレージか何かから始めたものじゃなかったんですか、それもそんなに昔という程でもなく。

「屏風と商売は広げすぎると倒れる」という古いことわざが頭にちらつく。

こんなふうに天邪鬼に考えてしまうのも癖。

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