はじめに

野口春哉氏の著書「体癖」に出会ったのは、24歳ぐらいでありました。当時、均整法という手技を勉強していました。その中に十二種体型という科目があり、人の体型と弱い部位、それと価値観には関連性があることを知りました。つまり、同じような価値観の人は同じような体型をしていて、痛みの出る所や同じような病気などにかかりやすい傾向にあるということです。

これは身体の使い方が共通するために生じることで、行動は欲求により生み出されるからです。

はじめは非常に衝撃的に思えましたが、一年ぐらい過ぎるとだんだん疑問に思える箇所が増えてきて「当たっている様でそうでもない」そんなモヤモヤしたものが胸に沸き立ち気持ちが離れていくようになりました。

そんな折に、一緒に勉強している仲間から体癖のことを聞いたのが始まりでした。直ぐに飛びついたわけではなく、実際に手に取ってその世界にのめり込むのに数年の時間を要しました。ですから体癖の世界が自分の心の広い部分を占めるようになったのは30歳ぐらいのことでした。それから10年以上は寝ても覚めても体癖のことばかり考えていました。

妻から「野口先生に恋してるのね」と言われたぐらいですからバカという他ありません。

では、どうしてそこまで夢中になったのかと言いますと、人の行動というものは、先ずは感覚することから始まり、感知したことにより欲求が生じ、これが行動の原動力になります。

人は欲求をそのまま行動に移すほど愚かではありません。

よって、その前に考えるという行為を差し込みます。この考えるということが価値観を作り出し、これに基づいて行動を起こします。

行動は、前に曲げる、後ろに反らす、左右に体を傾ける、左右に体を捻じる、脚を開脚するという体幹の動作と首を動かす動作を組み合わせることで作り出されます。

どうして体幹の動きと首の動きを分けるかというと、体幹の動きは下肢の動きへとつながり、獲物に向かって近づいて行くのと天敵から身を守るために逃げるという動物本来の行動が根源にあるもので、これは本能と深く関係します。

いっぽう首の動きというものは、手の動きに繋がっていきます。人が進化したのは前足が手になり、道具を考案したことでよりその動きが器用になったことと脳の発達は切り離して考えることが出来ません。

つまり、足の動きと手の動きは大きく分けると、動物本来が持っている本能によるものと、進化の過程で生み出された考えることと結びついたものとに分かれるということです。

脚の動きは腰から作り出され、手の動きは首、つまり脳から作り出されるものと言えます。

言い換えますと、遺伝的にプログラミングされたものと、考えて学習する中で試行錯誤しながら作り出されていく動きの二つに人の動きは分かれるということです。

動いというものは動作の組み合わせあら作り出されるものであり、動作はどれも均等に使われるものではありません。人によりどれが多く使われるかが分かれます。

したがって、どの動作に主軸を置いて動きを作り出すかということで、体のどの部位に力がかかるかということが決まってきます。するとよく使われる筋肉というものが登場します。よく使われるものは発達しますので他の部位のものよりも目立つようになります。

よって肩周辺の筋肉をよく動かす人は、肩幅が広くなり胸板も厚くなり水泳選手のように逆三角形の体型になります。

脚の開閉動作を主にする人は、お尻の筋肉をよく使うのでお尻が大きくなります。

行動する前に入らんことをよく考える人は、体を動かさずに頭を使うのでこれが首の上下運動を作り出し首の筋肉が発達した結果、身体は華奢だが首が長くて太い体型を作り出します。こうして体の使い方により体型が出来上がっていきます。

よく使うところは発達しますが、使いすぎると壊れます。

ですから似たような体型の人は、痛める所や病気になるところが共通する傾向になります。

また、行動というものは、その人の価値観から生まれてきます。意識するかしないかは別にして、何かの目的のために動物は身体を動かします。

価値観は、感覚して欲求が生まれたのちに出来上がります。欲求は、仏教でいう五欲というように知識欲、食欲、性欲、利害損得といった財欲、勝ち負けといった闘争本能に基づく欲に分かれていきます。これらも人により濃淡があり、どれが強く働くかはその人により決まってきます。

ですから、ストレス解消法も人によりそれぞれ決まっており、一人の人がある時は美味しいものをたくさん食べ、ある時はギャンブルで、またある時はおしゃべりでと、解消法をその時々で使い分けるということはあまりありません。美味しいものを食べる人は食べることでストレスを取り除こうとして、別に他のことで埋め合わせようとはしないのです。これは食に対する欲求が強いからで食べることが何よりも好きだからです。

こういう人は、胃袋などの消化器官が発達していて胃が大きくなるために、お腹がポコンと出る丸い体型になります。

勝ち負けにこだわる人はギャンブルなどの勝負事で解消しようとし、ねじり鉢巻きのように体を捻じってエネルギーを絞りだします。この捻じり動作というのは胸郭と骨盤の間から作り出されるのでこの部位が発達し腰のくびれが少なくなり胴が太くなります。

このようにして、欲求と価値観が体型と結びついていきます。

こうしたプロセスを経て、感覚器官と欲求そして価値観という動作以前のものと、動作と身体の部位と体型、それに痛めたり悪くなる器官というものが一連の繋がりを形成していきます。

そこに「形には意味がある」という哲学的ともいえるような意味合いが生まれてきたのです。

そしてこの形が出来上がるためには、変わるということを余儀なくされました。変わらなければ生き残れないという切羽詰まった是非もない状況の中から出来たものであることを生物の進化を通して知りました。人間の奥深いところに触れ得たような気がしました。そして、自分の中ではこのことを知ったことで生まれてきた意味を見出すことが出来たと思います。野口氏に出会えなければただただ日々の糧を得るために仕事をして一生を終えることになったのではないかと感じます。

体癖は難しくてよくわからないということで、今では隅に置かれてしまっています。

これはとてももったいないことだと考えます。半世紀近く前のものですから今という時代には合わないところも多々あるので、少しでもわかりやすく、また野口氏と別の視点、生物の進化という観点から辿ることで新たなものに作り替えることが長年の夢でありました。

未熟なところは多々ありますが、それが曲がりなりにも形になったことをうれしく思い、また癖というもの少しでも多くの人に知っていただければ何よりも幸いです。

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