人間とはどんな生き物かを考える上でよく野生動物を題材にした番組を見る。何も特別好きであるわけではなく、なんとなく気になるからぐらいの軽い気持ちから。
そんな中で、これも何とはなしに引っかかっていたのは、どうして雄ライオンはサバンナのようなくそ暑いところにいるのに頭部の周りを長い毛で囲んでいるのだろう。また、アラスカの森に棲む雄鹿の角はあそこまで大きくする必要があるのか。動きずらくないのであろうか。動物の体は効率性に基づいて作られているんではなかったのか。
ライオンは日向を嫌ってなるべく木陰に身を隠そうとしている、それなのにあの鬣は何という無駄であろう、真夏に耳を覆う帽子と首にウールのスカーフをしているようなものではないか、あんなことしたら気が狂いそうになる。でも、そうしなければ損するからしているんだろう。じゃぁ、何のため?
疑問というものを持つことは良いことのようで、これがすぐに解決することはないが忘れたころにそれらしい答えが返ってくる。私の尊敬する野口春哉氏は、疑問を無理に解き明かそうとしないで、そのまま心に留めておくといい。何時かふとその答えがやってくる。こんな感じのことを著書の中で述べていた。そう云うもんかと思い、無理に答えを見つけ出そうとしないように心掛けた。
ライオンの鬣や鹿の角の問題もこんな感じのものであった。
もの凄く無駄なことのようだが、それは強い自分をメスに対し強烈にアピールする有効な手段であるから。
動物のメスは人と同様に非常に現実的であるにもかかわらず、私から言わせれば幻を好む生き物らしい。
ライオンの雌はりっぱな鬣を見ると、過酷な環境下であれを維持できるということは、きっと素晴らしい遺伝子を持っているはずだ!欲しいなぁ‼
20代の若さでマセラッティに乗ってる見栄っ張りの男のようなものだ。どうすりゃそんな金が手に入るんだよ?いつまで続けられるんですか?と、厳しい世間の現実の中で生きてきた50代男性は思ってしまうが、お年頃の女性はそうは考えないのと一緒ではないか、一部ではあるが。
何か秘訣があるはずだ、と良いように解釈する。
鹿にしてもしかり、森の中であのでかい角は樹木の枝にぶつかる可能性がある。もし、熊や狼に襲われたら不利に働く無駄なものでしかない。それでもああして生きているのはきっと優れた運動能力があるからだわ!素敵‼という幻想の世界が生まれてしまうらしい。
この心の動きを生み出すために、命の危険も顧みず、さらに言えば報われないと知りつつ努力する悲しい性によって雄のシンボルは作られている。
それは、最優先事項の自分の種を残すために。自然とは実に厳しい、そして滑稽に思えるくらい興味深い。
胸が詰まり「君たちも頑張ってるんだね」そうエールを送りたくなってしまう。