性がなぜ存在するのか、私は福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」を読むまでは考えたこともなかった。オスとメスが存在するのは当たり前のことでしかなかった。この著書の中で福岡氏は、生物はもともとはメスしか存在しなかった。地球環境の変化、これは主に光合成により酸素が海中に、やがて大気へ放出されたことにより大気圏が形成された。するとダイナミックな変化が起きるようになる。当然こちらもそれに合わせなければ生き残れない、オスはこうした背景により生まれたものだと語っている。
メスからメスへと生命のバトンが引き継がれる場合、自分と同じものしか生まれない。
大気圏ができるまではそれでも十分対応できた、しかしこれができたことによって目まぐるしい変化が起こるようになると、環境に適応できないことが起きてきた。「これは大変だ、自分だけの力ではどうにもならない。他のモノの力も借りてこの危機を乗り越えなくては。」この時代の生物だってこう考えても不思議なことではない。そこで、自分のキャラクターの一部に誰か他のモノのキャラクターを加えたらどうか。単細胞生物であっても個体差があり、得手不得手が存在するらしい。これらを相互に補うことで当面の危機を乗り越えよう。こうした試みにより、キャラクターという情報のつなぎ役として自分の一部をカスタマイズしてオスが作り出された。
巷でよく取り上げられるY遺伝子は、本来は女性器になる部分を無理やり男性器に作り替えるための号令を出す役割をしている。
台本を急に差し替えて、別の配役にする。私らオスはそうした突貫工事の末に作り出されたものらしい。
だから赤ちゃんの時は男の子のほうが弱く育ちにくい。オスになるまでは時間がかかるから。
メスはもともとメスであるが、オスはメスから変化してオスになる。悲しいが厳然とした事実である。だから、女はまだろくに口もきけないうちから女であるのに、男はいつまでたっても男になれないのであろう、精神的にという意味で。
私はある時点から美輪明宏氏が急に好きになった。それはこの人が次のように言ったのを聞いたから。「私はこの世の中で、弱い女と強い男を見たことがない。男は弱いがゆえに愛おしい。」ありがとうございます、分かってくださって、と思ってしまった。なにもこの人が私のことなど露も知らないのに。
家の改築も車の改造も費用と手間がかかるように、性というものを維持するのも生命にとってはとっても負担を強いられることになる。
人は季節を問わずに生殖可能であるが、ほとんどの生物はきまった期間以外には生殖器を稼働させていない。理由はもの凄くコストがかかるから。山小屋の主が冬季は山を下りるようなもので、人以外の生物はしても無駄なことはしない。徹底的なコストパフォーマンス主義に貫かれている。
よく、コスパを考えない奴はバカだみたいな風潮が都会にはあるが、一番無駄をしているのが生物の頂点に立つ人であることも事実である。
無駄で面倒だとわかっているけれど、それを差し引いても得があるから性は存在する。
得とは何か、自分が変われるから。親と子が全く同じ存在ではなく似ているけど同じものではない。こうした何か新しいものを付加してくれるから得なのである。
もしクローン人間のように自分の全く同じものであるならば、環境が変われば生き残れない可能性が出てくる。こうした不測の事態に備えるためにも微妙な変化というものが必要になってくる。この条件を性が満たしてくれる。
変化しなければ生き残れないというこの世の原則があるから。
『不思議の国のアリス』の著者ルイス・キャロルは『鏡の国のアリス』の中で次のように言っている。「この国では、もし同じところにとどまっていたいと思ったら、力の限り走りつづけなくてはいけないのだよ。そして、もしほかの場所へ行きたかったら、少なくともその二倍の力で走らなくてはいけない。」
生きるとはどういうことかを考えさせられてしまう。